ポン菓子は実験の失敗から生まれたお話
ポン菓子研究家 杉内由香です。
本日はポン菓子はどうやって生まれたの? というお話をしたいと思います。
私杉内、ビールを飲んで話すYouTubeチャンネルやっておりまして、動画の方がいいなと思われる方はこちらご覧ください。
※どのような話もビール飲んで話す設定なので、そのあたりご了承いただけますと幸いです。
そもそもの始まりとしては
1901年、ミネソタ大学の研究者だったアレクサンダー・ピアース・アンダーソンが、穀物の研究中、米が膨化することを発見したそうです。
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E8%8F%93%E5%AD%90
米を試験管に入れオーブンで熱する工程で、誤って試験管に蓋をしてしまい、試験管を破裂させてしまったことにより、ガラスの破片の中から発見された。
とあるのですが、試験管をオーブンで加熱するのもすごいなら
加熱する試験管にうっかりふたをするのもびっくりですね。
私も随分うっかりしている人間ですが、これはかなりのうっかりです。
しかしそのおかげで穀類に熱と圧力を加えると膨らんでパフ化されることが判明したので良いうっかりだったのかもしれません。
その後、アメリカでは主にシリアルとして食べられていたそうです。
日本では第二次世界大戦終わりごろ、大阪で先生をやっていた女性、橘さんがポン菓子製造機を作られたのが最初だそうです。
戦時中の食糧難の中、生米はあってもそれを炊く燃料がなくてお米が食べられないという状態だったそうです。
少ない燃料でたくたんの量を作れるポン菓子機械があればたくさんの子供達が飢えに苦しまなくて済むかもしれないと一からポン菓子機械を作ろうと奮闘されたそうです。
そのあたりのお話は歌川たいじさんの
バケモンの涙をご覧いただければと思います。
橘さんは現在も御存命で北九州にお住まいだそうです。
私が購入させていただいたポン菓子機械製造の吉村さんは橘さんの息子さんにあたります。
現在ポン菓子機械を販売されているのは東京都南千住の吉村さんと北九州にお住まいの吉村さんの息子さんの会社と2箇所だけだそうです。
ポン菓子といえば、私が子供の頃行商のおじさんがトラックにポン菓子機械を載せて来て、家のお米を渡すとポン!として渡してくれたものを無心でムシャムシャ食べていた記憶があります。
何も考えないでムシャムシャ食べていたポン菓子を自分が販売することになるとは当時は夢にも思いませんでした。
人生わからないものですね。
ということで本日は以上になります。
ありがとうございました。